佐渡観光情報

佐渡の四季、日本の四季。

初めて訪れる方は、その大きさにびっくりされる佐渡は様々な自然が残されている、離島としては日本一大きい島です。

春夏秋冬、季節がはっきりしている気候で、四季折々の日本の姿を見ることができることから、佐渡は日本の縮図と言われております。

北から南下する寒流(リマン海流)と南から北上する暖流(対馬海流)が交差し、自生の植物の北限、南限である北緯38度線の位置にある佐渡は北海道から沖縄までの特有の植物が同居し、魚介類の種類もとても多い、珍しい地域で、夏は新潟県の本土側より1〜2度程度涼しく、冬は1〜2度高く、雪も少なく、比較的過ごしやすい気候の地域です。

また、青く透き通ったきれいな海、鮎やイワナ、ヤマメなどが住む清らかな川、 山菜や野草が生息する山野など、自然が多く残されているため、ありのままの自然を感じることができます。

最近では登山、ウォーキング、ハイキング、トレッキングなどのアウトドア、釣りやダイビング、海のカヌーであるシーカヤック、自動車でのドライブ、バイクや自転車でのツーリング、サイクリングなどで佐渡に訪れる方も多くなっております。

金銀の島、佐渡ヶ島。

佐渡金山の歴史は平安時代に発見された西三川砂金山によって始まります。

徳川幕府の財政を支えたと言われる佐渡金山は江戸時代が始まる約500年前の平安時代に真野地区の西三川砂金山を発見した事から始まったと言われています。
平安時代に「今昔物語集」にも登場する西三川砂金山が発見され、戦国時代に佐和田地区の鶴子(つるし)銀山、新穂地区の新穂(にいぼ)銀山が発見されたことで、佐渡は金・銀が豊富な島と知られるようになりました。
その後、上杉景勝が直江兼続以下の武将を率いて攻略し、上杉領となった佐渡の金銀山は上杉謙信の軍資金として役立ち、豊臣秀吉の時代には年間250kgも金が掘られたと言われています。

鶴子銀山を拡張するために探索を行っていた3人の山師(三浦治兵衛、渡部儀兵衛、同弥次右衛門)によって、関ヶ原の戦いの翌年、1601年(慶長6年)に佐渡金山が発見され、徳川幕府の直轄の天領となった佐渡の金山の豊富な金銀が財政を支えました。
(※1595年(文禄 4年)に佐渡金山が見つかったという説もあります。)
その頃、江戸から奉行や役人が佐渡に派遣されたことで伝わった武家文化や、佐渡金山開発のために日本全国から集まった最先端の知識人や技術者、労働者が伝えた様々な文化が、今の佐渡の礎を築きました。

その後、明治時代には西欧技術を持った西洋人技術者を招き、近代化に着手したことで金銀の産出量は増大し、1896年(明治29年)には明治政府から日本三大財閥のひとつである三菱に所有者が代わり、採掘を続けましたが、平成元年に操業停止となりました。
388年間の採掘量は金78トン、銀2330トンとなり、日本最大の金銀山となりました。

現在では「佐渡と言えば金山。金山と言えば佐渡。」と言われるようになり、日本全国で佐渡金山を知らない方がいないほどの名所となりました。
三菱マテリアル株式会社の関連会社である株式会社ゴールデン佐渡が、観光施設の史跡佐渡金山として、
・江戸時代の金の採掘を再現した「宗太夫坑コース」
・平成元年の操業停止まで使われた主要運搬坑道の「道遊抗コース」
・ガイド付きで世界遺産登録申請中の産業遺産や史跡を散策する「産業遺産散策コース」
の各コースと
・江戸時代の金山がわかる「金山資料館」
を通じて、多くの方々に佐渡金山の魅力を伝えております。

特別天然記念物である朱鷺(トキ)

27年ぶりに佐渡の空に戻ってきたトキ。

2008年9月25日。秋篠宮ご夫妻と佐渡市民が見守る中、27年ぶりにトキが佐渡の空を舞い、自然に戻った瞬間、その場にいた多くの方から、「飛んだ!飛んだ!」と歓喜の声があがりました。
佐渡市民やトキの野生復帰に尽力を注いでいる方にとって、空に舞う淡いピンクのトキの翼を見た、この感動は一生忘れることのできない瞬間でした。

学名はNipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)。
新潟県の「県の鳥」、佐渡市の「市の鳥」である朱鷺は東アジアに広く分布し、日本では東北地方や日本海側に多くいる一般的な鳥でしたが、1981年、佐渡島に残された最後の野生のトキ、5羽すべてが捕獲されました。その後、繁殖の試みを続けましたが、全て失敗し、2003年に最後のトキ「キン」が死亡したことにより、日本産のトキは野生絶滅しました。

しかし、1999年、中国から生物学的には日本のトキとまったく同一種である中国のトキのオスの「友友」(ヨウヨウ)と、メスの「洋洋」(ヤンヤン)が贈呈され、同年、「優優」(ユウユウ)が誕生して増えたトキは、100羽を超えた2008年に佐渡の空を舞いました。
中国から贈られたトキは自然に放鳥された2008年9月25日という未来が見えていたのかもしれませんね。

佐渡では2015年にトキが野生で60羽暮らしていることを目標としています。

1秒ごとに表情を変える、いつまで見ていても飽きない佐渡の大空で、淡いピンク色の羽をしたトキを見つけた時は何物にも代えがたい感動があなたを待っているはずです。
佐渡の自然に囲まれながら、トキを探してみませんか?

佐渡ではトキと人が安心して住める自然豊かな社会や環境作りのために、農薬を少なくしたお米や農産物の生産(環境保全型農業)、全国初のレジ袋ゼロ運動、天ぷら油のバイオディーゼル化、生ゴミの有機堆肥化などの活動をスタートしており、21世紀型の持続可能な循環型社会を目指しています。

独特な文化や芸能が残る佐渡。

知識階級の流人が京からもたらした貴族文化、金鉱開発のために江戸から来た奉行や役人達がもたらした武家文化、日本海側の九州から北海道までを行き来していた北前船の商人がもたらした町人文化が混ざり合い、独特な文化が創られ、それが残る佐渡。

縄文時代や弥生時代の遺跡が発掘され、1万年前から人が住んでいたと思われる佐渡は大化の改新後の8世紀前に佐渡国ができたと言われています。
その後、鎌倉時代から戦国時代、直江兼続を率いた上杉景勝が佐渡を領有するまで、鎌倉幕府が派遣した本間家が支配していました。
そのため、佐渡には「本間」という苗字がとても多い島です。

佐渡は流人の島で、犯罪者が流されていたと言われておりますが、佐渡に流された約70名のほとんどが、政治的に敗れた高い階級の貴族や文化人、知識人などであったため、京を中心とした日本全国の様々な文化が伝わり、今の佐渡の文化の基盤が形成されました。

・歌人でもある順徳天皇
1221年(承久3年)に父後鳥羽上皇とともに鎌倉幕府転覆を図った承久の変に失敗し、佐渡に流された順徳天皇は『順徳院御集』という歌集出すほど優れた歌人でもありました。佐渡では仏道を修行していましたが、1242年(仁治3年)、ご絶食のうえ、崩御されました。
順徳天皇が眠る真野御陵は「御陵」と同じ扱いで宮内庁で警護・管理されております。

・後世に影響を与えた日蓮
1271年(文永8年)、鎌倉幕府や諸宗を批判したとして流された日蓮宗の開祖、日蓮は後世の人々に多大な影響を与える法華曼荼羅を佐渡で完成させたと言われており、現在、佐渡は日蓮宗系の宗派の方々が数多く訪れる場所となっています。

・能楽を芸術まで高めた世阿弥
三代目将軍足利義満の絶大な支援を受けた能役者の世阿弥は能楽の礎を築き、芸術までに昇華させました。しかし、1434年(永享6年)、6代将軍に修任した義教は世阿弥を支援していた兄弟の義嗣と仲が悪かったため、後継者問題で義教の考え方に抵抗した事で将軍に謀反したと逮捕され、71歳という高齢で佐渡に流されました。佐渡では小謡集『金島書』をまとめながら、一度、奉納舞を行ったこと以外、それほど痕跡が残っておらず、多くの謎につつまれています。

※およそ650年の歴史と伝統を持つ能楽はユネスコの無形文化遺産に認定され、保護、継承されており、現存する世界最古の舞台芸術です。

江戸時代、佐渡金山が発見され、天領となった佐渡には江戸から多くの奉行や役人が派遣されたため、入ってきた江戸の武家文化。

・1601年、佐渡金山発見。ゴールドラッシュに沸く。

金山が発見されるまでは、わずか十数戸の小さな集落だった相川。
佐渡金山が発見され、日本最大の金鉱脈との話が全国に広がると、全国から多くの鉱山技術者や商人、労働者が佐渡に押し寄せ、最盛期の相川の人口は10万人(当時の江戸の人口は80万人)とも言われ、様々な文化や生活様式が入り混じった大都市へと一変いたしました。当時は全国から人が集まったために仏教の全ての宗派のお寺があったと言われております。
相川の町を歩いてみると、独特な作りの民家や石垣、昔の街並みが残っており、当時の面影を偲ばせます。

・佐渡に能を広め、庶民にまで浸透した能

1604年(慶長9年)、能楽師でもあった大久保長安が初代佐渡奉行に任命され、共に連れてきた能楽師の一団と共に能を佐渡に広め、佐渡島民に親しまれるほど、身近な芸能となりました。神事であった能がここまで庶民に親しまれるようになった地域は他にはありません。
能舞台が多く建てられた明治時代には200あった能舞台ですが、現在、33が現存しており、日本に残っている能舞台の約1/3が佐渡にあると言われています。
現在では昔と同じように能を楽しむグループがいくつもあり、毎年4月から10月に掛けて佐渡の各地の能舞台でその幽玄の世界を楽しむことができます。

相川やまきでは「歩いて行ける薪能プラン 〜佐渡の能、発祥地の相川春日神社に一番近い宿 相川やまき〜」をご用意しております。

・江戸時代のメインストリート、北前船。

江戸時代の18世紀後半から明治時代にかけての日本は上方と呼ばれる地域であった大阪、京都から東北・北海道にかけてが経済の中心で、物資の運搬をする海運流通業だけではなく、商人でもあった北前船の船乗りが様々な物資や人を運ぶと共に、様々な文化も運んでいました。

北前船の寄港地である佐渡は全国から船頭や船大工が集まる、最大級の造船基地であったため、千石船と呼ばれる大型の北前船が多くありました。船主や船乗りが全国各地を巡り、食料や酒、木綿や焼き物など、全国の様々なが運び込まれ、豊かな生活をしていたと言われています。

・佐渡の代表的な民謡「佐渡おけさ」
佐渡には全国の物資だけではなく、様々な文化も伝わってきましたが、その代表的なものとしては、日本を代表する民謡のひとつと言われる「佐渡おけさ」です。

佐渡おけさは九州熊本の牛深の港の酒盛り歌を発祥として、日本海側沿岸各地の港に伝わった「ハイヤ節」が佐渡小木地区に伝わり、佐渡金山の選鉱場で唄われ、「選鉱場おけさ」になり、その後、現在の佐渡おけさとなりました。

佐渡おけさが日本を代表する民謡となったのは、佐渡鉱山で働いており、「選鉱場おけさ」の唄い手であった村田文三が、大正時代、佐渡・相川地区で設立された立浪会の「佐渡おけさ」の唄い手として大役を任され、日本だけではなく、朝鮮、台湾、中国まで巡業にまわったことで、「佐渡おけさ」一躍全国的に知られるようになり、現在では佐渡の人なら必ず踊れる、身近な民謡となりました。


相川やまきでは1階ロビーにて、佐渡おけさを含む、佐渡の民謡ショーを行っています。
公演スケジュールは事前にご確認くださいませ。

伝統芸能、伝統工芸、芸術

佐渡には全国の物資だけではなく、様々な文化も伝わってきましたが、その代表的なものは日本を代表する民謡のひとつと言われる「佐渡おけさ」です。

佐渡おけさは九州熊本の天草市(旧牛深市)にある牛深港の酒盛り歌を発祥として、日本海側沿岸各地の港に伝わった「ハイヤ節」が佐渡小木地区に伝わり、佐渡金山の選鉱場で唄われ、「選鉱場おけさ」になった後、現在の佐渡おけさとなりました。

佐渡おけさが日本を代表する民謡となったのは、佐渡金山で働いており、「選鉱場おけさ」の唄い手であった村田文三が、大正時代、佐渡・相川地区で設立された立浪会の「佐渡おけさ」の唄い手として大役を任され、日本だけではなく、朝鮮、台湾、中国まで巡業にまわったことで、「佐渡おけさ」が一躍全国的に知られるようになりました。佐渡の人なら必ず踊れる、身近な民謡です。

相川やまきでは1階ロビーにて、佐渡おけさを含む、佐渡の民謡ショーを行っています。
公演スケジュールは事前にご確認くださいませ。

太鼓に合わせて激しく鬼が舞い、豊年を祈願する、佐渡にしかない珍しい古典芸能で、「鬼太鼓」と書いて「オンデコ」と読みます。

鬼太鼓は約500年前に佐渡に伝わったものといわれ、太鼓に合わせ、鬼や獅子、翁が独特の振り付けで舞う佐渡の伝統芸能です。
現在、佐渡には集落ごとに約120組の鬼太鼓があり、翁が枡を持って豆まきの舞をする「豆まき流」、太鼓に合わせ、片足で飛び跳ねる「一足流」、二匹の鬼が太鼓と笛に合わせて踊る「前浜流」、花笠踊り、3匹鹿踊りと共に行われ、鬼一匹で舞う「花笠流」、阿吽一対の鬼が交互に舞う「潟上流」の5つに大別されていると言われており、各地域で小さい頃から鬼太鼓を習い、代々大事に受け継いでいる佐渡の芸能です。

芸術の島、佐渡。
と言われるほど、人間国宝や国内外で評価の高い多くの芸術家を排出しています。

・皇居正殿の屋根飾り「瑞鳥」が有名で、金型界に旋風を巻き起こした蝋型鋳金の佐々木象堂(人間国宝)
蝋型鋳金(ろうがたちゅうきん)とは、蜂の巣から採取する蜂蜜と松脂(まつやに)を合わせて作った蝋の原型を耐火性の土で包みこみ、その後、蝋を溶かし出し、その空洞に銅合金を流し込んで鋳造する方法で作られます。
佐渡の蝋型鋳金は1847年(弘化4年)、当時の佐渡奉行に新潟柏崎から招かれ、大砲を鋳造する事から始まり、佐渡を代表する伝統工芸となりました。
佐々木象堂氏の作品は大胆にデフォルメした斬新な作品が特徴です。

・東京藝術大学陶芸科創設者の一人。日本を代表する青磁の陶芸家、三浦小平二(人間国宝)
東京藝術大学陶芸科創設者の一人である三浦小平二氏は無名異焼の窯元、常山窯三浦小平の家に生まれ、青磁の道を極め、三浦青磁と呼ばれる独特の青が特徴の陶芸家です。
中近東や東アフリカ、中国・モンゴルなどを巡り、アフリカ、アジアをテーマにした作品も数多く残っています。

・無名異焼の枠を超えた伊藤赤水(人間国宝)
無名異焼は江戸時代、佐渡金山の鉱脈の近くから取れる、酸化鉄を多く含んだ赤土を高温で焼き締めるため、非常に固く、叩くと金属音のような高音を出すのが特徴的な焼き物です。
伊藤赤水氏の作品は「窯変(ようへん)」と「練上(ねりあげ)」いう技法で赤と黒のコントラストを引き出す方法を用いたストライプ模様や複雑で可憐な花紋の模様がある焼き方が特徴です。

・鍛金工芸家で東京芸術大学学長の宮田亮平
佐渡の伝統工芸「蝋型鋳金」技術保持者の二代目 宮田藍堂(みやた らんどう)を父に持つ宮田亮平氏は、日本画家の平山郁氏の後を受けて、2005年より東京藝術大学の学長に就任されました。
佐渡から新潟に渡る際に見たイルカをモチーフにした「シュプリンゲン(Springen)」シリーズと、東京駅の「銀の鈴」、日本橋三越新館エンブレムが有名な作品のひとつです。

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